臓器提供に対する社会の反応?

主治医に容体を告げられ、心に浮かんだのが臓器提供でした。たとえ体の一部でもこの世界で生き続けてほしい、自分とつながっていることを感じたい。そんな思いで、心停止後の腎臓提供を申し出ました。

でも、その後の親族の反応は残酷でした。「子どもの体を傷つけた」「(称賛を受けようと提供するのは)親のエゴだ」。そう非難され、精神的に孤立しました。

(中略)

だれかのために貢献できるのだからと、提供をためらわない人もいるでしょう。でも、そのことで結果的に、残った家族が苦しむことになるかも知れません。いろいろな考えがそれぞれ尊重されたうえで、家族で話し合って意思を決められる。そんな世の中になるよう願っています。

臓器移植 読者編:5 非難され孤立 提供家族のケアを

私自身は「脳死のときは臓器提供する」態度を表明しており,また両親も同様の態度をとっているので,考えさせられる話である.もっとも,今現在では上記の話がどの程度まで当てはまるかわからないが.

私自身は「心こそが人間の証」の立場をとっており,ゆえに脳死は人の死であり,身体はただ腐るだけ(あるいは焼かれて灰になるだけ)の無用の長物であるから,使える臓器だけでも第三者に提供すれば無駄にならずに済むという考えをとっている.しかし,たとえば「体こそが人間の証」という立場から見れば,脳死といえども臓器提供は人体破壊の一種にほかならないので,およそ許される行為ではないという結論に至るのが自然である.

もっとも,海外で問題になっている生存者からの臓器移植に対しては否定的な立場である.心の存在するうちは,身体の各臓器は生存のために必要なものであって,けして無用の長物ではない.